2016年04月26日

「Batdance」

プリンスが死んだ。。と聞いた。

プリンスが大好きないっぱいの人たちを思い出した。


本当に音楽オタクと言われる人。
そして私がデビューする90年頭はプリンスが好きでなければ音楽人ではない、、
と言われるほど、日本にも多大なる影響を与えた存在である。

19歳の頃、宮崎から関東に出てきて、
都会的であかぬけた同級生達にコンプレックスを感じて
なんとなくコミュニケーションも取れないまま、でも音楽だけは自分を呼んでいて。。

聞こえてきたのは、プリンスの「Batdance」だった。

これといったメロディーがなかった。
音のカラフルさと自由さに惹かれていった。

DTMを始めた。

当時はS-50というサンプラーとシーケンサーがついたオールインワンシンセをバイトで買い、
テレビをディスプレイ代わりに繋げて曲を打ち込んだ。

デビューアルバムのタイトルチューン「逢いたし学なりがたし」は
当時、初めてS-50で打ち込んで作った曲。
1フレーズで1週間かかったのを思い出す。

プリンスはワーカホリックだったと聞いている。
ツアーの最中も打ち込み機器をホテルに持ち込みライブ後も打ち込んでいたらしい。

1年に3〜4枚ほどのアルバムも出すという前代未聞なアーティスト。
アイディアも尽きることはない。。。というか
ファン自体もそのスピードについていけなかった程だ。

MPCというサンプラーのドラムシーケンサーも憧れて大金叩いて買った。
今ではHipHop界の憧れの機材である。
1997年頃の友達とは、Mac、MPC、Atariのシーケンサー並べて、機材のグルーブ感を比べたものだった。

バブルははじけていて、そんな大きな買い物もできる身分でもなかったが、
その機材から奏でてくる音。。可能性というものに加担したくて
全てが、機材投資へとなる。
今でも変わらない。。

おかげで、普通の金銭感覚というものの桁は違うが、
贅沢ではない、何かが機材からは生まれ、そして還ってくるものと思っている。

今はソフトの時代。
ハードは不器用だけど、頑固だからこそのその機材、メーカーでしか出せない音を持っていると知っているから、
ソフトの手頃なありがたさ、便利さも逆に分かる。

いい時代を本当に生きてきた。

プリンスがアイディアの宝庫であるなら、
そのアイディアのトラックが、またDJ、そしてバンドに継承されるのだろう。。

プリンスは次世代のためのトラックメーカーの源になるはずだ。

愛すべきプリンス、
そしてプリンスを支えてきたファンに敬意を表したい。


posted by 馬渡松子 at 02:12 | Comment(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の数字を半角で入力してください。
※コメントは管理者により確認されています。
 不適切なコメント、誹謗中傷の書き込みなどは、
 削除させていただく場合もありますので、あらかじめご了承ください。